大田区 税理士の定番

「最近あらためて春闘見直し論が浮上している」として、「しかし、労使のみならず、国民全体がいわば全国的な勉強の場として、毎年、世界情勢から日本経済、企業業績、さらには国民生活のあり方についてまで広範に議論し、国民的コンセンサスを得る努力を重ねることは、日本経済にとってたいへん重要なことである」。 みられるとおりで、「隔年春闘」論(「間引き春闘」論)にたいしてはっきり否定的で、「毎年春闘」慣行を積極的に評価・支持している。

ついで95年版はどうか。 「春闘方式の見直しについては、労使交渉・賃金交渉は2〜3年に一度行えばよいという意見もある。
賃金など労働条件を毎年論議することの是非は個別労使の選択によるが、労使間で企業をめぐる環境や経営問題などについて、年に一度、真剣にさまざまな角度から広範に議論することは、たいへん意味のあることと考える」。 前年同様、やはり「毎年春闘」論を高く評価し、「間引き春闘」には否定的である。
以上から明らかなように、N時代と根本時代では「隔年春闘」にたいする「報告」の評価・見方が違っている。 両者とも「個別労使の自主性」を尊重する点では共通するが、N氏のほうがはっきり「隔年春闘」に否定的であるのにたいして、N氏は「個別労使の自主性」を強調するにとどまっている。
その理由・背景はなにか。 以下は筆者の推論である。
すくなくとも2点あろう。 第一に、N氏のほうが資本家魂に徹した考えに立っている、ということだ(この問題にかぎらず、だが)。
N氏は、毎年春闘のたんに「勉強会効果」を評価しているにとどまらず、むしろ全労連など階級的潮流対策・戦略にその重点をおいていたにちがいない。 かりに「隔年春闘」が実現すればどうなるか。
N氏はその情景を想像し憂えていたのだ。 つまり、「隔年春闘」になっても全労連や春闘共闘がそれに追随するはずがない。
連合勢力が春闘をお休みする1年おきになにがおこるか。 全労連春闘が社会の前面・表面に躍り出ることになる。
これまで財界・支配層はマスコミまで動員し連合春闘というついたてで全労連春闘を隠蔽する戦略をとってきた。 だが、もし「隔年春闘」になればついたてが1年おきになくなるのだ。

階級的なN氏が心配したのはこの点である。 むろんN氏も、春闘なんか「隔年」どころか消滅したほうがよいと願っているにちがいない。
だが、まだ少数派とはいえ階級的潮流が毅然と存在するかぎり、日経連の資本家魂にたけたリーダーたちは春闘を消滅させることができないばかりか、「隔年春闘」にさえ踏み切れないのである。 このような支配層の階級的な判断というものは、N会長時代の表現に変化がでたかどうかにかかわりなく、階級的潮流が健在なかぎり不変である、これが私の見方だ。
階級的潮流は存在するだけでも意義がある、その存在感は大きく頼もしい、ということである。 ただし、第2点として、もっぱらN氏とN氏の階級性(資本家魂)の濃淡に、隔年春闘論をめぐる「表現・評価の変化」の理由を求めるのは正しくない。
N会長の時代になって、「春闘見直し」のもう一つの論点、つまり「横並び春闘見直し」がより大きな課題として経営者たちの世界でクローズアップされるようになった、という事情がある。 「横並び春闘見直し」論については前述したので再論しないが、こうした変化のもとで、要するにN氏(または根本時代の「労問研報告」)の中心的な関心は「隔年春闘」論から「横並び春闘」論にシフトしている。
そのため、根本時代には「隔年春闘」をめぐる問題については個別労資で勝手にやれ式の対応にとどまり、エネルギーを春闘(賃金決定)の個別企業への分断、労働者個人への分断に集中させるようになった、と筆者は考える。 このような状況のもとでは、賃金の底割れ現象、底なし沼現象を増幅させる危険が大きい。
それは、深刻な危機に直面している日本経済をいっそうの危機に追い込むことになる。 今日の深刻な危機の引き金となったのが、橋本内閣が強行した消費税増税、特別減税廃止、医療制度の改悪による9兆円もの国民負担であったことを想起すれば明らかである。
もっとも大きな力である個人消費を拡大することが必要である。 1999年版の「労問研報告」が発表された。
25冊目である。 75春闘にむけた「大幅賃上げの行方研究委員会報告」いらい、ちょうど4半世紀になる。

そのこともあってか、99年版のタイトルは仰々しい。 「ダイナミックで徳のある国をめざして」というものだ。
もっとも、これは98年12月に発表された日経連「(改訂版)ブルーバード・プラン」(以下「新プラン」)のタイトルと同じだ。 タイトルだけではない。
内容も「新プラン」を下敷きにしている。 とくに「日本の将来像」部分は、「新プラン」そっくりである。
そこで以下、第一に、99年版「労問研報告」の目玉である「ダイナミックで徳のある国」とはなにか、その実像をはっきりさせる。 関連して「報告」は、「雇用重視」を強調している。
あきれた話だ。 どのような「雇用重視」なのか、第2に、その正体をあぶりだす。
さらに「報告」は、これまで以上の「賃下げ」を提起している。 「ワークシェアリング」や「賃金体系いじり」を手段とした賃下げ(人件費削減)をすべし、と露骨だ。

そこで第3に、その不当性をたたく。 日経連によると、「ダイナミックで徳のある国」とは、「市場原理を徹底させつつ、同時に倫理・道義を重視し、その結果として社会秩序が維持される国家像である」という。
みられるとおり、3点から構成されている。 すなわち、「市場原理の徹底」、「倫理・道義の重視」、「社会秩序の維持」である。
これを日経連は「3位一体」といっている。 この「3位一体」論にはごまかしがかくされているのである。
日経連がもっともねがっているのは、の「市場原理の徹底」である。 これは日経連とその仲間(政府や御用学者もふくめて)たちが、経文のごとくくりかえしている「規制緩和」と同義である。
なぜ「市場原理の徹底」「規制緩和」がかれらにとってそんなに必要なのか。 それが企業の競争力強化、とりわけ国際競争力の強化の不可欠の手段であると考えられているからだ。
「市場原理の徹底」で「高コスト体質」を打破し、国際競争力を強化するこれが日経連の論理天資本の論塁である。 「ダイナミックで」とは、このような内容をさす。
しかし、これでは労働者が重大な被害をこうむる。 一雇用や賃金が破壊される。
生活が破壊される。 当然、労働者は反対するだろう。

その反対をかわす意図で、の「倫理・道義の重視」がかかげられている。 これが「プラン」では、「雇用の安定」と「国民生活の質的改善」として、えがきだされている。
うるわしい目標である。 「徳」がありそうにみえるではないか。
しかし、「ありそうにみえる」だけで、それは言葉だけなのだ。 なぜか。
その「うるわしい目標」の実現のためには、「国際競争力の強化」(「高コスト体質」の打破)が前提とされているからである。 日経連は、「市場原理の徹底」という労働者に反対されそうな目標を、「倫理・道義の重視」という「いつわりの言葉」(ポーズ)でかくし、の「社会秩序の維持」を手に入れようとたくらんでいる。
どういうことか。

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